こんばんは。
先週の放送聞きましたか?
放送と言えば
渋谷クロスFMですね。
MC里見さんにアクシデントがありました。
どんなアクシデントか、
それは6月7日にYOUTUBEにアップされますので、
お楽しみに。。。。
さて、私のスピリチュアル的なの続きです
ちょっと空いてしまいました。
いよいよ
本当?の精神世界の話に入っていきますよ。
たぶん
ほんと、なんで宗教団体に入ったのか?
今でも信じられません。
でも、その時の体験や出会いは
私の人生では欠かせないものになっています。
ある意味、自由気ままに生きてきた私にとって
ちょっとした戒律みたいなのは
とても興味深いものでした。
みんな礼儀正しくてね。
会員の方は、支部長や奥様のことを
先生と呼んでいましたが
私は名前にさん付けで呼んでいましたよ。
セミナーから入ってきた人ということで
大目に見られていたのかもしれません。
生意気な奴だと当時はかなり
同じ年頃の子たちには、思われていたはずです。
ここから、私の勉強が始まるのですが
当時、東京に住んでいた私は
神奈川の支部まで
仕事が終わってからとか、土日と通っていましたね。
そうなんですよね。
ほんと、よくやってたと
今になって
改めて思いましたよ。
まずは、支部に着くと
ご本尊に正座をして、お辞儀をしてご挨拶
まずは、そこからでした。
そして先生に挨拶みたいな感じで
そこでのマナーを覚えていきました。
そこの先生は霊視?というか
いろいろ見える人で
神仏?にいろいろと尋ねることも
出来る人でした。
霊視とかって正しい表現でないかもしれませんが
見えないものが見える人だったので
その神秘性は、私を引き込む要因の一つでした。
そして、先生に伝えていないことを
当てられたりすると
余計にこれはなんだと?!
ちょっと怖い感じもありますが
とても気になるようになってきます。
そして、自分の過ちを見つめて
前へ進むために供養をするのです。
供養?!
このあたりが滅茶苦茶、宗教団体ですよね。
供養が悪いと言っているわけではないのですが、
今考えると。。。。
でもね。どうしてそうなったのかなど
私なりの考察が出来たりもしました。
供養という対象があるから、人はそれを行うことで
自分自身に対して見つめなおす機会が出来ます。
なんの対象もないと
つまり、目に見えないものに対して
何かをするのは難しい。
自分をただ見つめなおすことよりかは
供養という行為をすることで
見つめなおす機会が出来る。
そうすると人は供養をしたから
物事が変わったと勘違いする。
だから、供養は良いこととなる。
実は、そうではなくて、供養を行うときの
心の在り方などが変わるから
変化が起きるのではないかと
私は思っています。
きっと宗教が流行ったのは、対象物があると
人は信じやすいということがわかったからだと
思いましたよ
もし、自分の中に神様がいるとして
自分の心に対して
何か見つめなおすというのは
難しいわけで、
それが、目の前に神仏として
祀られたり、対象としてあると
その対象に対して拝んだりとか、
真剣に向き合うことで、自分を見つめなおす機会を設けます。
自分自身という対象は穢れているので、
対象にはならなく、むしろ神仏の方が遥かに心強く感じるもので
そこで人は宗教にハマっていくのだなと
ある程度、やってから気付きましたよ
あなたはどう思います?
決して宗教団体を貶してるわけでありませんから
ただ、信じるものがあるのは素晴らしいけど
ちゃんと見ないと盲目になってしまうということが
怖いかなーなんて思ってます
ということで
思わぬ展開になりましたが、私のスピリチュアル的始まりかな
本日も最後までありがとうございました。
次回は不思議な体験を3つくらい紹介しますね
