前回は私の不思議な体験をお話しました。
前回分をまだ読まれていない方はこちらから
私の不思議体験を読んで下さいね。
さて、今回は目覚めについて書いていきたいと思います。
不思議な体験をしたことも、とても大きな体験の
ひとつでしたが、もっと多くを学ぶことができたのは
支部での奉仕活動(宗教活動)ししたね。
ほんと、やくやっていたと思います。
まだ、20代の頃だったので、青年部の所属となり
その中で支部の活動に奉仕させていただきましたよ。
ほんとは支援していましたと書こうと思ったのですが
当時は、奉仕と思ってやってましたからね。
以前書いたと思いますが、支部の奥様先生は
霊能者だったので、お告げや供養のために
いろんなところに奉仕として連れて行ってもらいました。
それこそ、京都、大阪、埼玉、長野、神奈川、東京、山口とか
神社やお寺、ほんとうにいろいろ行きましたね。
大阪は、夜中出発して朝着いて
昼間、いろいろとやって夜帰るみたいなことを
毎月のようにやっていましたね。
どこに行っても必ず供養はしていました。

そんな中で、ある時思ったことがあったのです。
それは、なぜ神社やお寺には対象物があるのかと
※対象物とは、神様や仏様のことです
人が生まれてから
最初から神様や仏様はいなかったと思います。
いつの日からか、対象となるものが造られました。
多分、大昔の人は自然を神と思っていたと思います。
そんな中で、自然は時に人に試練を与えます。
そうなると、その試練に対して
別の何か守ってくれるものがあればと思ったのではないかと
それが、神様や仏様に繋がるのではないかなーと
単純に思いました。
供養をすると、なぜ病気が治ったりするのか?
いきなりですが、そんなこともあり
人は熱心に供養をしたりします。
ただ、そこにはきっと根拠があると思ったのです。
それは、供養を通じて人が何かに集中します。
その際に、何かのエネルギーや気が出ることにより
自治治癒力が働いて、病気が治ったりするのではないかと
思いました。
別に供養でなくても同じような状態を作れれば
きっと病気は治ったりすると思います。
もちろん、治らないものもあるとは思いますが。。。
ただ、人は生まれてきたときに
人生に必要なものはすべて持って生まれてきています。
そこには神様や仏様も自分自身の中に持っていると思います。
だから、外に向かって拝むのではなく
自分自身を信頼してあげればよいのです。
そんな風に、宗教活動を通じて感じるようになりました。
ほんと、一生懸命に頑張った結果得た私の目覚めでした。
本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
あなたの人生に良きことが雪崩のごとく起きます。
いつも明るく愉しく笑顔で