
東京のマンスリーに住んで、はや2ヶ月。
コロナ禍であまり出歩けない中、マンションから近い靖国神社に行ってみました。
筆者と戦争
航空隊
実は筆者の母方の祖父は、長崎県の大村海軍航空隊に所属し、”神風特攻隊要員”でした。
あと終戦が2ヶ月遅ければ、祖父は敵艦に突っ込んでいて、筆者自身この世に生を受けていなかった事でしょう。
戦争体験者は当時のことを話しませんが、筆者が小学6年生のころ一度だけ話を聞いた事があり、子供ながらに衝撃を受けた記憶があります。
毎日ギリギリの状態で過ごしていたそうです。
ちなみに父方の祖父は陸軍”隼航空隊”の整備兵だったと父から聞きました。
また、父方の祖母は、長崎の原爆(きのこ雲)を有明海を挟んで見たと小さい時に聞いた事があります。米軍機による逃げ場のない攻撃にさらされながら、濡らした布団を被って必死に命を守ったそうです。
戦艦大和
筆者の小学生からの友達には”戦艦大和”の乗組員の人がいました。
現在は亡くなられていますが、小学生の頃、普通に話をしていた”友達のおじいちゃん”が、あの大和の生き残りだったのです。
筆者が成人になり、たまたま読んでいた新聞でその事実を知りました。
直接は話を聞くことはありませんでしたが、新聞を読んでいて非情なまでの惨劇が目に浮かぶほどでした。
唯一軍人を祀る神社

千代田区にある靖国神社は、軍人をお祀りする唯一の神社です。
筆者も一度は行ってみたいと思っていましたが、なかなか九州からは遠く、行けずじまいでした。しかし現在は東京。ゆっくり時間だけはありますので、参拝と遊就館へ行ってみました。
地下鉄九段下から徒歩1分のところにある靖国神社。
大きな鳥居をくぐり、一番最初に目に飛び込んでくるのが、”大村益次郎”象です。大村益次郎は江戸時代の幕末に長州藩の軍師として活躍しました。

江戸幕府との戦いの最中、当時各藩から出兵した兵士の集まりだったため、中々統率が取れないことを懸念した大村益次郎は、明治維新後、廃藩置県を行った後天皇の軍、すなわち日本の軍隊として統率する事を発案します。これがきっかけとなり、日本陸軍が誕生しました。
大村益次郎は陸軍が創設される前に暗殺されてしまいますが、兵部省大輔という事もあって、「日本陸軍の父」と呼ばれています。
菊の御紋が入った大きな扉
少し歩くと、大きな門をくぐる。これは神門と呼ばれ、扉には大きな菊の御紋がある。

戦前、戦中、戦後とこの門をくぐって来た人たちは、それぞれどんな思いだったのだろう。無事を祈る者、武運を願う者、平和を尊む者、時代によって違うかもしれないが、命に対する祈りだったと思う。思わず一礼せずにはいられない。
この扉から先は少し雰囲気がかわる。
参拝する前に、掲示板のような物が目に入る。
これは太平洋戦争時における、軍人の遺書が掲載されてある。

一度読んで欲しい。
筆者も母方の祖父が亡くなった際に、遺品整理をしていた時、「武運長久」と書かれた旭日旗や、千人針を見た。
当時の祖父は20歳にも満たない青年だ。何を思い毎日を過ごしていたのだろう。
続きは次回